自己紹介
西 拓郎
■ 自己紹介
1987年2月生まれ、3人兄弟の末っ子。
奄美育ち。
趣味:瞑想、朝の散歩、バレーボール、キャンプ、BBQ、畑

睾丸マッサージ師になるまでのストーリー
■ はじまりの物語
― 活発だった少年が、心を閉ざしてしまう
幼い頃の私は、元氣いっぱいで人前に立つことが大好きな少年でした。
しかし中学生になると、自転車や上履きが隠されるという嫌がらせを受けるようになり次第に人前に立つことが苦手となり、恐れを感じ受け身な性格になっていきました。
■ 心の支え
― 仲間と出会い、再び開いた笑顔
高校では信頼できる友人や担任の先生たちに恵まれ、再び人と関わる楽しさを思い出すことができました。
「人の心に寄り添いたい」「誰かの力になりたい」——そんな思いが芽生えたのもこの頃だったかなと思います。
■ 旅立ち
― 作業療法士として、島から都会へ
作業療法士を目指し、福岡の専門学校へ進学。
卒業後は故郷・奄美で働きましたが、「もっと学び、成長したい」という気持ちから、大阪の整形外科クリニックへ就職しましたが、慣れない都会の空気と仕事のプレッシャーで心と身体のバランスを徐々に崩していきました。
■ 人生の闇夜
― パニック障害と、密かな男性機能の悩み
都会の喧騒や職場の忙しさからパニック障害を発症し、初めに電車に乗れなくなってしまいました。
強い不安やストレスに心を支配され生活も乱れお酒に頼る生活が続きました。
強いストレスや生活習慣の乱れからだんだんと「勃起力の低下」にも悩むようになっていきました。
■ 再生の旅
― 世界へ飛び出し、自分を取り戻す
「このままでは、自分が壊れてしまう」そう感じた私は奄美へと帰島することを決意。
しかし帰ってからも心は回復せず鬱状態に陥り、仕事にも行けない日々が続くこともありました。
そこで、1年間の休職を決意。
この時に「あれしたかったなー。これしといたらよかったなー。」と、後悔する人生は送りたくない。
と思い、これまでやってみたかったことに挑戦する期間にすることに決めました。
・ フィリピンでの英語留学。
・ アジアを旅するバックパッカー生活。
・ 飛騨高山の旅館で仲居として働く日々。
どれもが未知の挑戦でしたがすべてが新鮮でとても充実した日々となりました。
この期間を通して、
人生は「できる・できない」ではなく、「やるか・やらないか」ということに気づきました。
このことに気づくととてもポジティブになりとても前向きな性格になったと思います。
■ 気づき
― 心が軽くなれば、命も力を取り戻す
やりたかったことに挑戦していくと心は自然と前向きに動き出し、鬱症状も改善。
そして驚くことに、心が軽くなっていくにつれて勃起力も自然と回復していきました。
この体験から私は、
「男性の元氣は、心と体のつながりの中で取り戻せる!」
と確信しました。
それから数年が経ちコロナが流行り始めました。
家から出れないストレスなど、コロナが人に与えるストレスって本当に大きかっただろうと思い、
「自分のように若くして勃起力の低下を感じる子たちが増えるのではないか?」
と、思うようになり「力になれたらいいなー。」と考えるようになりました。
そう思っていると、X(旧Twitter)で宮古島のKyosukeさんをみかけ、
「こんな仕事があるんだ」と、そこで初めて睾丸マッサージの存在を知りました。
この段階ではまだ「こんな仕事もあるんだー。ふーん。」
程度で考えていたのですが、
作業療法士として発達障害の分野で小児の子たちを専門にリハビリを行っていると、
ふと、
「男性の精子の質って子供たちにすごく大きな影響を与えるのでは?」
と思いました。
そう思い始めると、
「良質な精子を作るために自分が何かできることはないか?」
など色々考えた結果、
「睾丸マッサージ師になろう!」
と思い、そう思うといてもたってもおられず、R5年3月に鎌倉のTTMAという学校でJAP KASAI(睾丸マッサージ)を習うことを決めました。
翌月、4月に試験を受け見事合格しディプロマを頂きました。
この時点の施術でも効果を感じてくださる方はたくさんいましたが、もっと改善できるようになりたいと思い
R5年12月に日本カルサイ・ヨクトーン協会のKyosukeさんより睾丸マッサージを習い、無事こちらもディプロマを頂きました。
■ 今、そして未来へ
― 命の力を取り戻すサポーターとして
いま私は作業療法士として15年以上約5万人以上を施術し、
睾丸マッサージの分野では300人以上の男性と向き合ってきました。
これからは、奄美の男性がより元氣にそして、日本の多くの「元氣を失いかけた男性たち」が、本来の力を取り戻せるように、島から全国へと心身機能の回復をサポートする活動を行なっています。
私の目標は、
「すべての人が、心から笑顔で生きられる“心もバリアフリー社会”をつくること」
そのために私は、今日もこの旅を続けています。








